東京に雪が降る
寒暖の差が激しい関東の冬。
少し暖かくなったと思ったら、急に冷え込み、勢い余って雪が降っているではありませんか。
東京は、あまり雪が降りません。
たまに雪が降ると、交通機関が大混乱となり、TVの情報番組でも都内の雪の状況を大々的に取り上げられます。
幸い、今回の雪は平日ではなく土曜のことなので、そんなにひどい混乱は起こらないでしょう。うん、よかったよかった。
私は雪の中、MTBで元気に出勤です。
極太のブロックタイヤは、今日のような軽い積雪などものともせず、安定感を保ったままモリモリと進んでくれます。
子供の頃は、普通の自転車で滑ったり転んだりしながら雪道を走っていました。
私が生まれ育った鳥取県は、雪が多く降る地域でした。
誰かが言いました。「山陰地方はハードモード」と。
春は刹那のように通り過ぎ、夏は恐ろしいほど暑く、秋は日照時間が少なく、冬は積雪が多い。
もっと言えば、47都道府県の中で人口は最も少なく、有名企業の参入は乏しく、交通機関にも恵まれていない陸の孤島。
そう、山陰地方は「ハードモード」であることは間違いない。
四季の中でも最も厳しい冬。とにかく寒いし、雪が多い。
冬が楽しくて嬉しい季節だったのは、子供の頃だけだったように思う。
雪が一晩降るだけで、周りは銀世界へ早変わりする。
昨日までの日常の風景が、全く異なる世界になる。
雪は無限の遊び方を生み出してくれる、天が与えてくれるおもちゃだ。
小学校に通うためにスキーウェアを着込み、雪遊びしながらの通学。
中学生になると自転車通学になり、雨や雪、強風など、自然の驚異にさらされ、悪天候を恨むようになっていった。
ある冬の日の帰り道、前日の雪が半分ほど溶けかかった道を、友人らと自転車で走っていた時のことです。
僕らの横を、薄汚れた軽自動車が、溶けかかった雪をまき散らしながら通り過ぎます。
雪を浴びせられた僕たちは怒り心頭、過ぎ去る軽自動車に向かって叫びました。
「なんじゃい! この腐れ軽自動車!」
「おりて来んかい! このくそやろう!」
「冷たいっ! 冷たいっ! あひーっ!」
すると、過ぎ去った軽自動車が急停止し、何やら危ういオーラを纏った御仁が降りてくるではありませんか。
その風貌は、どこから見ても一般人のそれではなく、紛れもなく「ヤ」の付きそうなご職業の構成員をおもわせる、平たく言えばチンピラではありませんか。
どこに売っているかもわからないような刺繍入りのジャージ、パーマネントが施されたリーゼント、鋭い眼光とがに股歩きが高い威嚇効果を感じさせるではありませんか。
僕らが抱いていた怒りの感情はどこ吹く風、瞬時にブルってしまっていた。きっとあそこもめちゃくちゃ小っちゃくなっていたと思う。
『おい、いま何て言っとったんじゃいっ!!』
「はい? ぼ、僕らは何も言っておりませんけど。」
「そそそうですよ、僕らじゃなくて、他の人では?」
そう釈明して周りを見渡すと、僕らの他には誰もいないじゃないですか! 田んぼと山しかない絶望。
田んぼに積もった雪が、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。ああ、美しいなー。自然って偉大だなー。
『お前ら以外に誰もおらんじゃろうがっ!!』
『何だかんだと言っとったじゃろうがっ!!』
『もう一回言ってみんかいっ!!』
そして一人ずつ、今しがた叫んだ熱き思い(罵声)を復唱させられることになりました。
「え、えーっと、、、雪がかかって、、、冷たい、、、です、、、」
「ゆ、雪がかかったので、謝って、、、ほしいです、、、」
「つ、冷たい、、、冷たい、、、あひーっ!と言いました、、、」
僕らは、御仁(チンピラ)の逆鱗に触れないよう、細心の注意を払い、可能な限りニュアンスを変えて復唱しました。
『もうええわ、お前ら帰れ!』
『これからはふざけた事ほざくなよ!? あぁん!?』
そう言い残して、御仁(チンピラ)は軽自動車に戻っていった。
「うおー! ごっつい怖かったなー!」
「うん、泣くかと思った、、、」
「山陰地方はハードモードだな。」
それから数年が経ち、大人と呼ばれる年齢になるころ、何人かの友人は都会に移り、何人かの友人は地元を守り、かく言う僕は仙台市に移り住み、現在は東京で暮らしている。
東北の冬がどれほど厳しくても、東京がどれほど住みづらい街であっても、山陰地方のハードさと比べたら、弱音は吐けない。
街に生かされ、人に生かされ、環境に生かされ、時代に生かされている。
僕らはひとりでは生きる力はなく、皆それぞれが誰かを生かすこと、何かに役立つことで世界は成り立っているのではないでしょうか。
東京に雪が降ると、そんなことを考えさせられるのでした。